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2009年11月29日日曜日

我道を行く(2)

一昨日は、最後にHUNTERAAR選手の2点で勝利、波に乗っている。
ユーベが負けて2位に浮上した。
今日は、2回練習のはずが休養日となった。もちろん 怪我人は別である。

前回の続き

今シーズンの前期を分析すると、3つのフレーズに分けることができる。
第Ⅰ期 挑戦 (シーズン初めの合宿からリーグ第1戦目のsiena戦の勝利まで)
第Ⅱ期 落胆(リーグ第二戦のミラノダービー完敗0-4から10月18日のローマ戦まで)
第Ⅲ期 自信(10月21日のチャンピオンズリーグ レアル戦から現在)

第Ⅰ期は、新しい監督、新しいシステムで自分たちのサッカーを構築するための時期であった。
したがって、試合に負けたことよりもどこを改善しなければならないのかを最重要視し、試合結果を見ず、やらなければならないことを一生懸命やっていた時期でり、自分たちの理想に追及した。
そして、リーグ第一戦を勝利で飾り、ほっとした時期。

第Ⅱ期は、リーグ第一戦の勝利も束の間で、ミラノダービーに完敗、昨シーズンのシステム4:4:2から今シーズンの4:3:3への変更が選手に馴染まず、試合に負け、内容も見てられない試合ばかりが続いた苦しい時期。

第Ⅲ期は、この先が不安視される中、今シーズン最初の重要なゲームであったレアルマドリッド戦で、誰もが、心の中に不安を抱き、しかも唯一好調であったGKのストラーリ選手の故障で久々の先発に戻ったDIDA選手が、試合開始、早々のミスで相手に先制されるにもかかわらず、劇的な逆転勝利をし、その後、負けなしの試合が続く時期。

したがって、シーズンはじめと、今では、外から見たら全く違う感じがするが、監督がやっていることは、同じである。
レオナルド監督は、周りが何を言おうが、ロナルジーニョ選手を辛抱して使い続けて少し良くなったこと。パト選手が本来の期待通り、点をとれるようになったこと。
ただ、これだけが少し変わっただけである。チーム方針は、シーズン最初から変わってない。
選手には、それぞれの個性がある。
監督は、調子が、のってきてる選手を上手く起用することも重要なことであるが、本来の力を出せない選手に対し、試合に我慢して使い続けなければならないこともある。増してや使わなければ、どんどん悪くなっていく選手もいる。

今 現在のチーム、選手の状態を判断することも監督として重要であり、当然であるが、自分が見込んだその選手と心中するつもりで調理が悪くても使い続けることも監督の勝負師としての技量である。
今回は、その良い例であったが、それをして結果が伴わず、首になった監督もたくさんいるから 監督業は大変であり、おもしろい。


2009年11月28日土曜日

我道を行く

今、シチリアのカタ―ニャに来ている。森本選手の所属するチームと対戦するためである。
最近、サッカーのことを書いていないので今日は、たまにはサッカーのことも書こうと思う。

イタリアサッカーの日程は、8月最終日曜に開幕し、前半を12月20日で終了する。残りあと5試合である。そして、クリスマス休暇2週間を挟んで来年1月6日に後半が始まり、5月16日に終了する。

今シーズンは、監督がANCELOTTI氏からLEONARDO氏に代わり、また、チームの看板選手のKAKA’選手を放出したし、MALDINI選手の引退で、感覚的にかなり刷新した感じがする。
やはり、監督が変わるということは、大きなことだ。

私たち現場のレベルで一番感じるのは、練習日程の変更である。
前監督は、基本的に練習時間は午後3時または、4時(冬と夏では違う)の午後型であったが、今度の監督は、基本的に午前11時開始の午前型である。
こうなると、朝に強い選手、特に子持ちの選手は、子供を学校に送ってから来るのでとても良いと言っているが、独身族にとっては朝まで遊ぶことが出来ないから大変である。
いろいろな考え方があるが、朝の清々しい時に練習をするのも良いが、身体は、午後の方が動く気がする。しかし、選手を夜遊びさせないためには、朝型が良いのかもしれない。そして また、その混合もなかなか良いと思う。

カルロ・アンチェロッティ監督は、午後型、
カペッロ監督は、朝型
エメルソン レオン監督は 混合型、例えば今日は、午後、明日は午前、そして 翌日は午後、翌々日は午前に行う(約1日身体を休める)

ところで、ミランの話になるが、プレシーズンマッチから全然勝てず、シーズンに入ってからも引き分けを挟んで負けが多く、9月30日のCL(チャンピオンズリーグ)では、スイスのチューリヒの0対1のホームでの敗戦は、サポーターだけでなく、ミラン関係者まで今後のことを考えたに違いないという状況であった。しかし、10月23日のCLのアウェイでのレアルマドリット戦の辛勝(2-3)はチームの雰囲気を100%変え、その後、勝ちが続き、イタリアリーグ2位チャンピオンズリーグ予選2位という状況である。


この続きは、次回。


2009年11月26日木曜日

サザエさん

一番下の娘は、まだ パソコンを持っていない。高校生の2人はそれぞれ持っていて、3番目は、私と共有である。
彼女は、友達からWiiでインターネットが出来るという情報を仕入れてきて、無線ランに接続し、テレビでインターネットを見ている。インターネットを見ているといっても YOUTUBEを見ているだけなのである。
いろいろマンガを探しているようだが、なぜか最後は、サザエさんに行き着くのである。
私も、一緒にパソコンをしながらサザエさんを見るのであるが、大変懐かしく感じている。多分 小学校低学年の時に見て以来である。
そして、また、子供時代に見た感覚のサザエさんと全く違う奥が深いすばらしい作品であると感じている。
この磯野家の構成は、本当に上手く出来ている。
私は、磯野家のカツオ君のような少年を育てることが、日本には必要であると思う。
そして、お父さんの波平さんの家長としての態度も大変参考になるし、お母さんの舟さんこそ日本人のお母さんの鏡という感じがする。
それぞれが、一長一短があるが、それを踏まえて助け合う家族、近所、友人、親戚がいる。これは、日本の良き時代のどこにでもあった家庭であるように思う。
イタリアも昔の話を聞くと、日本と同じように昔の方が、人間的、家族的であったと言っている。
世界的にこのような傾向なのだろう。

躾は、先生、親の問題だけでもなさそうだ。社会的な問題であるようだ。
そんな中で、学校の先生が、躾についてがんばり過ぎというか 学校の先生にまかせっきりというのが問題だ。
昨日のブログではっきり言わなかったが、イタリアにいて、子供達は、日本人学校に通っているが、国際社会の中にいるのに、先生が、日本の国内と同じ感覚で躾をされたら私は、がっかりしてしまう。
いっそのこと勉強だけ指導して、閉鎖的な躾である「みんな同じ」、「みんなそろって」なんていう躾というか指導は、止めてほしい。

私には、平等とか同等とかで躾られることほど怖い物はないと思っている。
エディさんがコメントで書かれているように これじゃ 世界で戦えないと言っているが全く同感だ!

2009年11月24日火曜日

日本の学校

物事には、何でも長所と短所がある。大切なことは、それをプラス思考で持って行くか、それともマイナス思考で持っていくかである。そして 親、指導者、先生は、それをどのように導くかである。

長女は、全く数学というか算数が分からない。
数学は、世界共通だから、問題ないと思っていた私の責任である。(最もDNAからして私の責任であるが)。
小学3年生から、3年間位、言葉が理解できない間に数学の基本を学んだのだから仕方がない。私が少しでも気を使ってあげれば、もう少しまともになったのかもしれないと後悔している。しかし、その当時は、私もそれどころではなかった。
そして、出来ない出来ないと言うので 久しぶりに様子を見たら、負の計算からもう駄目であった。これには、お手上げだった。
ところが、日本人学校から紹介され、プライベートレッスンのパンセの山下先生に集中で1週間ほど教えて貰ったら、これが凄いのである。分からなかったところが、すべて分かったといい、挙句の果てには、数学が好きになりそうなどというのには、たまげた。
塾の先生は、子供の性格から勉強の問題点まで理解できるのだからそうとう勉強しているのであろう。
さすがその道のプロである。見習わねばならない。

日本の学校教育は、今後、どうなっていくのだろうか。
日本の学校の先生は、今現在、どのようなポジションに置かれているのだろうか。
勉強を教えるスペシャリストでもなければ、家庭でやるべきしつけを中途半端にやっている。

歳をとったからそう思うのか、それともイタリアに来たからそう思うのかは分からないが、日本にいる時は、あまり感じなかったことを 今、感じるようになっている。
こちらにいると日本とイタリアの学校教育の違いをすごく感じる。

A国
1)しつけは、学校の仕事ではない。
2)掃除時間とか給食当番がない。(勉強以外は、子供はしない)
3)先生は、子供と一緒の時間に来て、一緒に帰る。
4)先生によって学習指導案が違う
5)生徒それぞれの個性を尊重する

B国
1)集団行動を強調し過ぎ
2)失敗をさせない
3)子供同士の問題に先生が介入する。
4)道徳感を全員同じにする。

最初に書いたが、長所は短所、短所は長所、ピンチはチャンス、チャンスはピンチである。

私の提言
学校の先生も 勉強の指導一本に絞って勉強指導のスペシャリストになってはどうだろうか。
しつけは、親、社会が行うべきである。



2009年11月23日月曜日

分かりません

昨日のコメントに以下のような質問を頂きました。
これについて少し書きたいと思います。

*-*-*-*ー*ー*ー*ー*ー*ー*

「コーチ、トイレに行っていいですか?」
「コーチ、お昼を食べていいですか?」
「コーチ、、、、いいですか?」
なんで君達はコーチの許可を求めたがるんだ?
なんで君達はコーチの言うことを守らなきゃいけない!と思うんだ?
なんで君達は「コーチより俺の判断の方が正しい」って思わないんだ?
少年サッカーに帯同していつも不思議に思います。主体的で自由な思考が絶対的に乏しい。良かれ悪しかれ日本人のメンタリティーですね。
遠藤家のお子さん達は日本人的ですか? イタリア色に染まってますか?

*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*

我家の子供たちが、イタリアに来たのは、2000年。私よりも1年遅れてやってきた。
最初の1年弱は、長女は日本人小学校3年に編入、長男はインターナショナルスクールの小学1年、二女は、幼稚園の年少に入ったが、現地の言葉を学ばせなければ、全く生活出来ないことが分かり、清水にいた時のサレジオ学園(旧星美学園)のミラノ姉妹校であるカトリック系私立のscuola maria ausiliatriceを紹介され、そこで5年間を過ごし、その後、公立の現地校に1年弱通い、そこに馴染めず、ミラノ日本人学校に入り、上の二人は、日本人学校の高校がないため、インターナショナルスクールに通っており、下二人は、現在もミラノ日本人学校に通っている。
これが、約9年間の子供達の学歴である。

最初の頃の私たち両親は、子供たちに、日本人として恥ずかしくない行動を取らせるために結構厳しくしたつもりであった。というのは、イタリア人は、東洋人をバカにしているからきちんとさせたかったのである。そのため、マナーは、他の子供よりはある程度良かったが、自由奔放さが無くなってしまった。そして、それに気がついて少し緩めたが、ちょっと遅かったかなという感じである。、最近では、その反動で逆に、態度もマナーも悪くなってしまったようである。
イタリア人の良い所(あいさつをしっかりする、自分を主張する等)を真似してくれれば良いのであるが、それは出来ず、自分勝手なところは、ちゃんと真似してるようである。
私としては、男も女もメチャクチャの方が良いと思っていたが、結局、気の小さい子になってしまったというかしてしまったようで残念だ。
ただ、これから、子供同士の付き合いが多くなり、親なしでイタリア人の家族にも触れあうことも多くなると思うし、もう少し変わるのではないかと思っている。
学校とか 町のサッカークラブではいろいろな人と出会うので、良い所を学んでほしいものだが どうなる事やら。
結局、自分の子供のことは、あまり よくわかりません。
両国の良いとこを身に付けさせようとすることが、親の身勝手なんですよね。

2009年11月22日日曜日

少子化

春山昇華氏のブログにおもしろいことが書いてあった。

我家は、夫1人、妻1人、子供4人の合計6人の大所帯である。しかし、ここイタリア、特に北部地方は、日本と同様に少子化が問題になっている。
皆さんは、この問題をどう思うだろうか?
私は、どうしようもない。もう子供が4人もいるからこの4人をどう食わせていくかで精一杯で少子化について考えたことがなかった。
そこで 春山氏のブログから抜粋したものを読んでほしい。


++++以下:雑談です++++

山手線の内側に住む若者が増えた。
若者(+少し前まで昔)の複数人と話した会話を合成すると・・・・

若者:「オジンは遠くに住んでいるけど、私たちは近くに住みたいのです」
春山:「でも都内のマンションは狭くて、子育てに向かないのじゃ??」
W:「子供はせいぜい1人しか考えていないから、2LDKでも十分なんです」
H:「そんなんじゃ日本人が減る」
W:「郊外や地方に住む人が子供を生めば良いんじゃないですか」

H;「子育て1人に1500万円かかるから、子供ゼロ夫婦:3000万円、子供1人夫婦:1500万円の税金を徴収して、それを2人以上の育児をする人に配布するという案はどう思う」
W:「子供を生むか生まないかは個人の自由、基本的人権です」
H:「じゃあ、1500万円あげるから、子供1人生むか?」
W:「いやです。20年間で1500万円だと、1ヶ月62500円です。そんな金額もらっても子供を持つ面倒を考えれば嫌です。」

H:「自由を満喫したいのですか?」
W:「そうですね。だから郊外や地方の人よりも高い金払ってこんな狭いマンションに住んでいるのです。これ以上金を徴収するのは不公平だと思います」
H:「高い金は、便利な公共インフラ、文化施設などの対価だから、フェアな価格だと思うが・・・」

++++++++

どうも、1500万円払うのは嫌で、もらっても子供を拒否するという反応からすれば、子供1人:1500万円というコストはフェアな金額だと思った。
                                          以上

遠藤家の子供達は、今後どこの国で生活するか分からないが、国籍は日本である。
子供たちが、日本で生活したいという国になってほしいものだ。



2009年11月19日木曜日

VINO NOVELLO






           ボジョレーヌーボーの時期であるが、先週、私は、イタリアのVINO NOVELLO(新しいワイン)をスーパーで買って来て飲んだが、やはり、若過ぎて旨くない。でも1本ふたりで飲みほした。






photo;VINO NOVELLO、サラミ、カルチョ―フ



2009年11月18日水曜日

piano forte

元部長のみっち様コメントありがとうございました。
部長とフロントで仕事をしたのは、2年位でしょうか。あまり良く覚えていませんが、いろいろと男の生き方を勉強させていただきました。感謝しています。ところで、最近、毎週ピアニストを治療している。ピアニストといってもまだ15歳の少女でお母さんが日本人、お父さんがイタリア人のハーフである。
将来は Grande Concertistaになっていくだろうと期待している。

そして、また、先程の元部長のみっち様もピアノが引けるのである。はるか昔に定年したオヤジだが、育ちが良いのか、才能があったからなのか知らないが、このオヤジの年代でピアノを習ったのだからこのオヤジは、立派である。もしくは、お母さんがさぞかし立派だったんだろう。
とにかく、男がピアノを引けるなんて素敵である。
ACミランにもピアノを引ける選手がいる。マッシモ アンブロジーニ選手である。今でも先生についてレッスンをしているから結構本格的である。一度、遠征の時に我々の前で引いてくれたがカッコよかったことを憶えている。
そして 我家の子供達もピアノを習いだして2年になるが、最初は、女3人だけだったが途中から一人息子もやりたいと言いだし、習っている。
昨年末のミラノ日本人学校理事会主催の演奏会では、なかなかの腕前と褒められていた。

私は、幼少時代から「サッカーで一人前になるんだ」と言ってサッカーのことだけしか考えていなっかったから、人生に幅がないし、余裕がない。趣味もない。結局、サッカーも物にできず、とりあえず、サッカー関係の仕事をしているという状態である。
ミランの選手を見ていて思うのだが、私のように青春時代に朝から晩までサッカーの事しか考えていなかった選手などいない気がする。彼らは、15歳で認められ、仕事としてサッカーを始めたから、仕事という感覚でサッカーをし、それ以外の時間は楽しんでいたのかもしれない。だから、サッカー選手なのに他のスポーツまたは、音楽をサッカー以上に上手くでき、職業選択を間違えたのではないかという選手も時々いる。

photo; つい最近、今使っているキーボードだけでは、鍵盤が足りないと子供から言われ、新しい電子ピアノを買ったが日本では6万円ぐらいなのにこちらでは10万円ぐらいになってしまう。

2009年11月17日火曜日

たばこ

私は、煙草を吸わない。もっぱらアルコールだけである。それも外で飲むより飲んだらすぐ寝れるから自宅で飲むのが好きである。

フッと思ったが、喫煙家は、仕事中も何かにつけて一服する。そして こちらイタリアでは、一服だけではなく、それにカフェタイムも入るのである。
仕事中も、煙草で一服、そして、カフェで一服と何かにつけ休憩が入るので、私は、手持無沙汰になってしまうことがよくある。
集合時間に遅れて来た同僚が、来て最初の一言が、「ちょっと待っててカフェしてから始めよう」なんて言われたら、こちらは、切れてしまいそうになるのであるが ここは、イタリアしょうがないとあきらめる。でも他の同僚は、「早く行って来い」待ってるからと言い、寛大なのである。
これは、私のような真面目な人間には、相手をバカにしている行為にしか思えないのであるが、皆さんはどうであろうか。

しかし、私も成長したのか、こんなことを思うようになった。
私にも何か煙草の代わりになる物はないだろうか。

それは、エスパルス時代の部長が大の煙草好きだった。
彼を良く観察すると、煙草吸う時は、いつも天井を見ているような仕草で煙草を吸うのである。そして 一機に大学ノートに向かって書き始め、灰皿の煙草は、その後一度も吸われることなく、終わってしまうこともあったのである。そして、その時、私は、それだったら「最初から煙草吸うなよなー」と思ったこともあった。
しかし、今考えると、彼は、煙草を吸うための時間を作ったのではなく、考えを整理するために煙草を吸う時間を作ったのであった。当時の私は、「おやじー、ボケちゃったのかと思って心配した」と言ってからかったことがあったが、今、私に必要なのは、ちょっと休憩し、考えてみる、整理してみることなのかもしれない。

性格的に待ってられない。今できることは、今やりたい。今終えてしまいたいのだ。その先のことを考えて、今、何をすべきかということが出来ないのである。
これは、性格だからしょうがないが、生い立ちを考えるとわかる気がする。
両親を始め、周りの先生たちもしつけにおいて 「何でも早くしなさい、何をのろのろしてるの」とせかしたのである。
部長のお母さんの話を聞いたことがあるが、私の両親と全く違うということを感じたことがあった。
最近、何かで読んだが、子供に対して 「早くしなさい。遅れちゃうわよ」は絶対の禁句だそうだ。考えると最もだと思う。
「のろのろ食べてたら、口の中でウンチになっちゃうよ」なんて 言われるものなら一生懸命呑み込んでしまうのも 分かる気もするし、何も考えないで、現在を夢中で走らされるのである。

まあ、昔のしつけは、「何でも早くやりなさい、他人に迷惑をかけてはいけません」の世界だったから 素直な私は、そちらになびいてしまうのは仕方がなかったのかもしれない。
と思いつつ、同じことを子供に言っているのが私である。

では、これをどう解決すればようだろうか。

今から煙草を始めるのも馬鹿らしい。アルコールは、思考回路が欠如するからダメ、何かないだろうか

2009年11月11日水曜日

触診

我々のような者は、手が仕事に重要なことは、皆さんも分かるだろう。
したがって、家庭で洗い物は、ほとんどしないし、もしするとすれば、お皿とか箸、ホーク類だけでグラス等のコップや割れやすい物は、洗わない。
これは、ある意味プロとして当たり前なのかもしれないが、ここ4、5年でこのように意識するようになった。ちょっと遅いかな!
こちらに来た時には、魚をおろしたり、〆サバが食べたいために、インターネットで作り方を調べて作ったりしたしたし、刺身もそれなりに作った。しかし、その時もびくびくしながらの作業であったことを憶えている。

ところで、この手の感覚を頼りに仕事をするようになっていつも集中しようと努めるのであるが、最初は、自分で一生懸命触っているのだが、思うように感じないのである。どうしたらこの感触が育つのかいろいろと考えて治療していた。
そして、1つに触診の際、眼を閉じて触ると数段感覚が冴える感じがした。これは結構いけるかと思ったが、まだ しっくりしなかった。

そして、2006年のドイツワールドカップにウクライナ代表に帯同した際、特別帯同した私の他にもう一人のイタリア人がいたが、彼の治療の仕方を観ていてハッとしたのである。
そうか、そうすれば もっとはっきり感じるのかということが分かったのである。
以前にも書いたが、「endo check」がこれで完成したのである。

それは、何かというと皆さんからしたらどうってことでもないのである。
ただ、自分の両手を常に使って左右差をチェックしながらゆっくり触っていくのである。
こんな単純なことなのであるが、これをやるようになって、肉離れの感触をしっかりと捉えることが出来るようになったし、足首のねん挫等で足首に違和感があったりする選手の原因を追及できるのである。
そして、これをやればやるほど自分が感じる選手の身体のイメージがはっきりするようになり、どこをほぐせば良いのかを感じるようになった。

こんな単純なことではあるが、私にとっては「眼から鱗」であった。
このブログの訪問者の中には、治療家の卵の方もおられると思うのでぜひ、試してほしい。

あまり 詳しくは書かないのか 書けないのかは定かではないが、自分の想像というかイメージで行う方が自分の物になると思ったので簡単に書いた。しかし、説明不足ならもうちょっと詳しく例を挙げて説明するが、文章ではしれているかもしれない。

2009年11月9日月曜日

創作料理

先週は、日本からお客さんが来ていたし、重要な試合もあって、ちょっと忙しかったが、今週はinternational match dayでゆっくりできそうだ。

今回の来客と2回レストランに行ったが、最初は、イタリア料理店「GIANNINO」に行き、もう一軒は「FINGERS」というお店に行った。
このGIANNINOは、ミランの役員等がオーナーとなったレストランで、ミランの関係者のための部屋があり、壁には、たくさんのミランの写真が飾られている。
そして、fingersというレストランは、ミランのシードルフ選手がオーナーであり、開店の時に招待されて行き、そして、話のタネにと女房と息子の友達のイタリア人の両親と行ったことがある。
私は、日本から来たお客さんをここには連れて行く気にはならなかったが、お客さんがこのお店に行きたいと言ったのでそれではということになり、行って来たのである。

この「FINGERS」というレストランは、日本料理店である。しかし、日本料理をベースにしただけでもう日本料理の範疇を遥かに超へ、この店のオリジナルの創作料理になっており、友人日く、「これは、日本料理店ではないね。」、まさにその通りであった。
客層も綺麗な女性を連れた紳士が多かったし、雰囲気もとても良い感じだ。きっと日本で言えば、洒落たイタリアレストランに彼女を誘って行くと言った感じといえば想像できるであろう。
ここの店長は、日系ブラジル人でブラジルの日本料理店で修行していたと聞いている。私は、サンパウロには何回も行っているので分かるが、ブラジルの日本料理店は、日本の寿司屋その物である。

ミラノには、3種類の日本料理店がある。
1つは、日本よりも美味しいくらいのものを食べさせてくれる店。
次に、主に中国人が日本料理店を経営して本場日本に近いがほんの少し味が違う店。
そして、このFINGERSのように創作日本料理の店である。

私は、日本よりも美味しいくらいという日本料理店をやっぱり好むが、お客さんは、このFINGERSを大変気に入ったようで、この店が、日本に出来たらきっと流行るだろうなと言っていた。
これに私は、ハッとした。
私には、日本食は、こうあるべきという固定概念があり、それ以外は邪道であると勝手に思い込んでいるのであった。だから 日本人客は、みんな創作日本料理を肯定しないだろうと勝手に思い込んでいた。
しかし、このお客さんのように3日間のイタリア料理から解放され、美味しい物は、美味しいと感じることは純粋に美味しいのである。

サッカーにしても何においてもそうだろうが、現在に至るまでの歴史を尊重し、伝統を守って将来に向かって進んでいくことは、重要であるが、それがすべてではないし、それにこだわる必要もない。
我々サッカー関係者が、当たり前と思っていることが、他のスポーツ界や、他の分野で活躍する人から見たら無駄であったり、工夫の余地が十分あったりすることは多々ある。
そんな中で、少なくても自分が良いと思ったことは、試みて、失敗し、そして 考えてみて、また 試みることが大切なのだろう。
そして、結果として、基に戻ってしまうのもまた良いことだと思う。
一番いけないのは、そこで止まっていることであり、「止まっていることとは、後退への第一歩である」というのをどこかで聞いたことがあるが、まさにこれである。

伝統を素直に受け入れ、そして 自らのオリジナルを加味することも一つのやり方だろう。
このfingersは、まさに日本料理を基に世界中の人々が好むメニューを開発、研究している。
これが、世界に対しての日本人の一つの生き方の見本なのかもしれない。
我々の東洋医学もこの創作日本料理とまた同じなのだろうと自問している。

2009年11月8日日曜日

川崎フロンターレ問題

今日は、ローマに来ている。明日のLAZIO戦のためである。選手は、飛行機で来たが、ドクターの車を誰かが持っていかなければならないため、同僚が運転することになり、助手席に私が座った。
VARESE(練習場)からROMAまで600kmである。4時間半ちょっとで着いたが、途中、ガソリン補給で止まって、事故渋滞もあったから かなり飛ばしたことになる。


昨日、インタ―ネットのニュースを見てナビスコの優勝はどこかと思ったらFC東京のことより川崎フロンターレのことの方が話題になっていて、何が起こったのか調べてみたら選手が準優勝のメダルを受賞してすぐに外してしまったことが問題となったようだった。
ニュースの情報だけで 自分の意見を書くのは、良くないかもしれない。したがって、そう思う人は、この先を読まないでほしい。何しろ情報が少ないし、現場を見ていたわけではないわけだし。

ところで、前置きはこのくらいにして本題に入ろう。
①もし、優勝チームが同様な行為をしたらどうなっていただろうか。
②もし、半数の選手が外して、その半数がつけていたらどうなっていただろうか。
③もし、受賞して メダルを外す行為を見ていたJリーグ関係者、または、フロンターレの関係者がその場で助言していたらどうなっていただろうか。
「もし」を言ってはならないのは承知である。

この問題は、フロンターレの役員、選手が、問題視されているが、これは、もっと根が深い気がする。
日本の教育では、公の場で自分の考えを示すことは、良いとされていない。
① 自分だけ違う行為をすることは、恥ずかしいことである。
② 注意する必要があるなら 誰かが言ってくれるはずで自分が言うことは無い。
これらが我々には、植えつけられている気がする。
例えば、集合時間に遅れることは、他人に迷惑をかけるとか、団体行動が出来なくなってしまうということよりも、人と違うことは、いけないから遅刻は良くない。そのぐらいに考えている選手もいるのではないだろうか。

もし、このような気持ちが潜在的になかったら選手全員が、メダルを外す行為はしなかっただろうし、その行為に対して誰かが何かを助言したはずである。
そして、普段からこれに似た出来事が起こっているはずであり、それが解決されていない文化というか環境なのではないだろうか。
例えば、食事のマナーについてとか、使用した練習着の洗濯籠への入れ方とかである。
イタリアでは、食事の態度が非常に悪い選手もいるが、良い選手もいるし、使い終わった練習着をきちんと裏のまま入れずに表にして重なった物ははがして洗濯しやすくして籠に入れる選手もいる。それぞれが自分の価値観を持って生活している。
そして 目に余るような行為が誰かにあった場合とか、他人を不快にするような行為があった場合は、それを誰かが注意をし、それをその相手が無視したら、それを見ていた周りの仲間が正しい者に賛同し、注意した者を助けるための意思を示すのである。

今回の件は、「全員がやってしまったこと」、「誰もが何も対応しなかったこと」が、致命的だ。
そこには、「自分の意思を示せない」、「注意できない」、「俺には関係ない」の三拍子が重なってしまったような気がする。「赤信号、みんなで渡れば怖くない。そして 交通事故、全員重傷」ということではないだろうか。

反省文を書かせても大半の選手は、何を書いて良いか分からないであろう。そして、悪いことをしてしまったとの反省をするだけで、根本の原因が分かっていないで終わるだろう。
また、これを読むのは、Jリーグの関係者なのか、フロンターレの社長なのか知らないが、根本を考えてほしいものである。
普段から、自分の意思を示すことに小さい頃から慣れていれば、自然とこのようなことは起こらなくなるのではないだろうか。




Photo こんなスピードでもAUDIは心地よい感じだった。

2009年11月5日木曜日

気合い!

ちょっと忙しくて書けなかった。
一昨日の試合は、さすがミランという試合であった。
やはり、世界のつわもの揃いのチームだけに自分たちの威厳にかけて気合いが入ったようだった。
しかし、このつわもの達も気合いが入らない時が時々ある。だいたいその試合前日の雰囲気で分かることがある。
ミランは、毎年のクリスマス休暇の始まる前の試合は、負けることが多いが、これは、選手それぞれが口には出さないが、気持ちは、もう休暇モードになっているように感じるからである。
これは、単なる気の緩みが問題だから、監督がどうにかすれば解決できることである。
以前に一度、その雰囲気を察した監督が、負けたら休みを少なくすると言って選手に発破をかけたことがあったが その時は、監督も弛んだ雰囲気を感じたのだろう。結果は、もちろん勝利であった。

皆さんからしてみたら、世界一流のプロ選手でもこんなことがあるのかと思うかもしれないが、やっぱり選手も人の子で、簡単な方へというか楽しい方に流されてしまうのである。
そして、それを察することが監督はできなくてはならないだろう。

しかし、試合中、選手が、完全に自信を失ってている時には、監督によって2種類の解決法があるようだ。
1つは、選手に対し、「お前たちは、こんな相手に負けるはずがない、もっと冷静に スピードあるボールを回せ。悩まず、考えず、思ったようにやれ。自分を信じろ!お前たちが一番強いのだ」といった感じで自信を持たせることである。

もう1つは、徹底的に叱咤激励するのである。「お前たちには、プライドがないのか?自分が恥ずかしくないのか?戦えない者は、今すぐにシャワーを浴びて帰れ!後半は、ダンスパーティーじゃなくて 戦争をするんだ。自分に恥ずかしいプレーをするな。死に物狂いでやってこい。動けなくなったら交代する者はいくらでもいるんだ。」といった感じである。

私は、サッカーは、戦いであると思っている。一流選手は、技術が冴えない選手、体力がない選手もいるが、精神的な強さは、すべての選手が備えている。一流選手に必要最低条件は、精神力である。
指導者の中には、極端に精神論を論じることに対して否定的な方がおられるが、私は、絶対に重要であると思っている。
少なくても、試合に勝つか負けるかの70%は気持ちであると思っている。技術も戦術も体力も精神的な基盤の基にはじめて発揮されるものであり、気合いが入っていない技術は、サーカスに行っても通用しないだろうと思うし、戦術も絵に描いたものにすぎなくなってしまうだろう。

ただ、監督、指導者は、精神論を口に出す必要もなく、ただ魂の入った練習、すなわち、緊張した雰囲気の練習環境を作ることであると思う。
これは、大人も子供も同じである。勝つというのは、気合いを入れなければ成せないことなのである。

2009年11月2日月曜日

MILAN-REAL

明日は、今シーズンで最初の重要な試合である。年間、多くて50試合くらいある中で5つ以内に入る重要な試合であると説明すれば理解できるだろう。
昨日、我々同僚の誰が、この試合にスタッフとして行くかを我々のボスが決めたが、私の名前が入っている。私は、根回しして、行かないようにしておいたのだが、結果は行くにな事になってしまった。

以前にも書いたが、私以外の同僚は、みんな行きたいのだが、私は、ワインを飲みながら、テレビ観戦したい。そして、試合を完全に1サポーターとして見たいのである。
一般のサポーターより、内部事情に詳しいから、選手の心理状況、監督の決断等が分かるので、みなさんよりも楽しめると思う。

例えば、ネスタ選手(前々回の試合で大腿部を痛めており、完全ではない。しかし、大腿部の問題は、解決したが、ここ数日練習していない。)それに対して、同じポジションのカラッゼ選手は、昨シーズンに膝の手術をし、ようやく調子が戻って来て、前回の試合では、集中力も途切れず、まずまずの出来であった。
ホワードについても経験豊富なインザーギ選手を先発で使うのか、それとも怪我から復帰し、前回の試合で2得点したボリエッロ選手を使うかとかである。
明日の試合当日の朝も軽い練習、治療をするので、その状況、そして、監督の判断まで手に取るように分かり、それを他人事として楽しめるのである。
試合に帯同するとそのような悠長なことは言ってられない。

いろいろ考えたが、私が、なぜ、行かなければならないのか。
それは、こうだ。
私は、試合中、滅多にグランドに出て行かず、更衣室でハーフタイムの準備をしながらテレビを見ているが、同僚は、みんなグランドのベンチの横に座りたいと思っているようだ。そんな時、遠藤は、重宝で、文句も言わず、更衣室で準備をしているのである。

以前、チャンピオンズリーグの準決勝の試合後、勝利を喜びあってみんながグランドに出ていたが、私と用具係の2人は、更衣室でみんなの喜んでいるのをテレビで見ていた。翌日、自宅に帰り、家族が、お父さんをテレビで探したのに全然出てこなかったじゃないのと言われた。
そして、最後に女房が、一言。
「全世界の人が観ているのだから、嫌でも面倒でもグランドにに出てテレビに出てよ」と言われ、子供達にも「もそうだそうだ」と言われてしまった。

そして、アテネの決勝では、試合後、ノコノコとグランドに出て行き、大活躍したインザーギ選手と抱き付き合ってそれがテレビに放映されて、家族が満足したということがあった。

明日は、まだ、大御所の私がグランドに出るような試合ではない。もうちょっと重要な試合になったらグランドにでようと思う。

2009年11月1日日曜日

yoko様、ありがとう

スティーブ・ウォズニアックを調べました。

この方も立派な方ですね。
iphoneの方が良いかな