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どうして!

新聞でしか情報がないから こんなこと書いてはいけないのかもしれない。 しかし、不思議すぎることがあったので書きたいと思う。
日本代表の武藤嘉紀選手の移籍先が、チェルシーではなく、マインツになるということらしい。 なぜ、チェルシーでなくて マインツなんだろう。
世界でトップクラスのクラブからオファーがあったのにどうして行かないのだろうか?
本人と直接話したい。 私の常識では考えられない。
記事には、本人が行きたいところ選ぶと書いてあるが、本人なんて全く世界のサッカー界を分かっていないのに 周りの人々は、どんなアドバイスをしているのだろうか?
ACミランにも チェルシーからレンタルで来ているVANGINKELという21歳の選手がいるが、チェルシーで試合に出れなければ、格下のクラブであるACミランでプレーはしているのだ。 それよりも世界のトッププレーヤーと寝食を共にすることの価値は、1年試合に出れなくてもそれ以上の価値はある。
なぜ、それが理解されないのだろうか!それとも他の条件があるのだろうか
だれかマインツに決定する理由を教えてほしい。

代理人業

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今日は休日。

16年お世話になった方と昼食をしてきた。
彼は、ミランのナンバー3というポジションから、成績不振の責任とるかたちでミランを去り、今は、バルセロナのスカウティングをやっている。
また、同席したのは、こちらでも有名な代理人のダミアーニ氏だった。
スペインの携帯電話番号も教えてもらい、これからもよろしくと挨拶してきた。
彼から、「最近は日本の選手がドイツで活躍しているから、良い選手がいたら連絡してくれよな」と言われた。
これから日本の若い選手を発掘して、ミランはもとより、バルセロナにも送れるラインはできた。
友人の出世は本当にありがたい!

まるで日本に帰ったら代理人業をやるかのような感じで別れの挨拶をしてきた。

繁栄から衰退

あと2週間

1998‐9年のザッケローニ監督のリーグ優勝の翌年から3年間Under19(プリマヴェーラ)のチームで働き始め、2003‐4年のアンチェロッティー監督の時からトップチームで働き始め、現在に至っている。

プリマヴェーラの当時の監督は、タソッティで、育成部長がバレージだった。

それから タソッティがトップチームのコーチに就任して2年も経たない内に私もトップチームで働くようになった。。

2003年の8月からトップチームに加わった私は、そのシーズンのUEFAチャンピオンズリーグに優勝することができたのは、全くのラッキーだった。

それからまさか東京で行われたトヨタカップに2回もミランのスタッフとして参加できるとは、夢にも思わなかった。

それに加えて、ワールドカップの本大会にも2006年のドイツ大会、2015年のブラジル大会にもスタッフとして、ウクライナ代表、ガーナ代表に帯同したことも、ラッキーとしか言いようがない。

みんなが私の職歴を見たら吃驚することだろう。
何しろ、ACミランというクラブとして参加できる大会すべてにおいて優勝経験があるということなるからだ。

これも運が良いとしか言いようがない「ラッキー人生」である。

しかし、これは、単にこのクラブにいただけのことである。それよりも経歴として価値があるのは、ここ数年の衰退していくACミランの中で働いていることだ。

チームが強い時の状態、選手の何気ないしぐさが、プロとして当たり前のように思っていた私が、今のクラブ内の選手の行動を見ると、その違いを感じる。

その超一流とそうでない選手の違いを自分の目ではっきりと観察できたことは、ミランの全盛期を経験すること以上に勉強になったように思う。

この16年間は、まさに「ACミランの繁栄から衰退」というドラマを見ることができたのは、私としては大変貴重な経験となった。